父の命日
サワッディーカァー(^人^)
3月19日。
今日は父の祥月命日。
命日とお盆の時期は実家にお供え用のお花を送り、近所の寺院に行ってお参りするのが恒例。
今日もウド助と一緒に近所の寺院に行ってお参りしてきました。
父が亡くなってからもう17年も経つなんて・・過ぎてみればあっという間。
それだけ前を向いて生きてきたということかな。
あの日のことは今でも鮮明に覚えてる。
父が意識不明で倒れたあの日。
繁華街の路地裏で倒れたところを通りすがりの人が救急車呼んでくれて病院に運ばれた父。
母から連絡を受けた時は仕事中で、会社に電話がかかってきたんよね。
「お父さんが意識不明で倒れたから」
低い声で発する母の言葉に私は信じられない気持ちでただ聞いていたけど、
病院の名前をメモするときの手が凄く震えてて文字が上手く書けなかった。
会社から最寄りの駅までのタクシーの中でも堪えきれず涙が溢れ、
電車の中でも嗚咽になるほど一人泣いた。
周りなんか気にしてられる精神状態じゃなかったから・・
一番職場が離れていた私が最後に病院に着いて診察室に向かうと、
家族全員が座って医師の言葉をじっと聞いてた。
その重い空気に押し潰されそうになりながらも先生の言葉に耳を傾けた。
はっきりと言われた言葉は思い出せないけど、とにかく厳しい状態だということ。
「まるで夢のよう」とはこういうことを言うんだなと初めて思った。
夢であって欲しい。みんながそう願ったけど現実やった。
ICUで人工呼吸器に繋がれている父の姿を見て本当に信じられない気持ちやった。
病室の前の廊下できょうだい3人ただただ泣いて祈るだけ。
あの時こそ神様に本気で願ったことはなかったな。
倒れたのが17日。
一旦家に帰るもいつ病院から連絡がくるかと眠れぬ夜を過ごした。
18日は父と母の結婚記念日。
その日だけは乗り越えて欲しいと願った。
結婚記念日が命日になるなんてやっぱり悲しいもの。
その思いに答えてくれたかのように父は頑張ってくれた。
もしかしたら目が覚めるんじゃないかと期待した。
今夜が山場かもしれないと告げられたけど、
一度くらい目を覚まして最後の会話が出来るんじゃないかって。
みんながそういう思いで必死に父の体をさすり続けた。
「父さん、父さん、起きて!目を覚まして!」
結局、家族の願いは叶わぬまま亡くなってしまったけど。
親もいつかは死ぬ。
でもこんなにも早く失うことになるなんて・・最後の言葉も言えてない。
突然死は心の準備が出来ない。
思い出がありすぎると辛い。
思い出があるだけましやん。お父さんがいるだけ幸せやん。
そう思う人もいると思うし、確かに幸せだったと思う。
でも過ごした時間が濃くて長いほど失ったときの悲しみは底知れない。
あれから17年。
父が亡くなってからというもの、母のことを大事にしていかないと思いつつ近くにいるとついぶつかってしまう日常。
「死んでから後悔せんよう大事にしていかんと!」
そう思ってたのに生きてるうちは難しいもんですね。苦笑
たまにこの言葉を思い出しては優しく接するようにしてます(´ω`)
結婚相手も孫の顔も見せてあげられなかったのだけが残念でならないけど、
子煩悩な父だったからきっとウド助のことも可愛がってくれたと思う。
ウド男さんのことも紹介したかったな。
そんなことや昔のことを思い出すと今でも涙が出ちゃうんやけど。
きっと空の上から見守ってくれてる。
元気でやってる姿を見て安心してくれてると思う。
ウド助の成長も喜んでくれてる。
命日は、お墓参りしたり法要を行って供養をしてあげる日でもあるけど、
こうして亡くなった人を思い出してあげることが最大の供養なんだなと思う。
日本から離れてしまった今、それが自分に出来る供養だと。
あと、手を合わせたり父と過ごした日々を思い出すことで自分自身も救われる。
心が浄化するというかなんというか・・
父が見守ってくれてる気がして。
お寺に行ってタイ式の参拝を終えると清々しい気分にもなる。
出来るならちゃんとした場所で手を合わせることも大事よね。
「父さん、私はタイで元気にやってるよー!
家族みんなのこと見守っててねーー!!」
ウド子
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